とらどら!の大河のお父さんの態度は(11~13話より)
ホストの仕草に酷似していないか?
また、それに対するみのりの怒りも、「父親に対するふがいなさ」に怒るのではなく、ホストに入れ込んでいる女性に対しての怒りも包含されてないだろうか?大河の父親をかばう姿もまた、ホストに入れ込んでいる女性がかばう姿にも酷似しているように思える。
どうにもあれが父親には見えない。というか父親との関係にも見えない。
きわめて不完全かついびつな娘と親の態度に見える。みのりの怒りに対する大河の困惑は、父親を守るためというよりもホストを守るため、遠ざけているようにも感じる。父親と娘、と感じられる描き方ではない。
この11から13におけるエピソードにおいて大河の母親は出てこない。母親の不在。
相変わらず、女性陣(大河、みのり、モデル、他)の生き生きとした描かれ方と異なる、笑えるぐらいに不甲斐ない男性陣(主人公、メガネ、他)。去勢されている。
作者の父親観、母親観、家庭環境、家庭観が気になる。
それは「なのは」の作者にも感じるが。
とらどらに出てくる女性陣は、どうにも魅力的であるが、魅力的であるがゆえに、どこか歪な感触を受ける。
まともな家庭環境にいない。まともな家庭環境にいないがゆえに、精神的に歪になり、それを「埋める」ことが要求される男性主人公。エロゲー的構図?少女漫画とエロゲーはきわめて近いところにあるのだろうか?
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少女漫画家の描く男性は「基本的に去勢された女性(少女)」である。性欲がない。オナニーしているような気がしない。
エロゲ-、エロ漫画において描かれるヒロインは、肉奴隷である。主観性がない。自意識がない。あるように見えても、それは話に強い影響をもたらさない。最終的なセックスまでへの移行に関しての場つなぎ、さしみのつま、程度のものである。
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ホスト漫画や女性雑誌向けにおけるホスト男性との肉体関係の描かれ方は男性読者にとってどう違うのか?どのような違和感を感じるのか?
肉体関係がメインではない?肉体関係はきっかけというか、「女性読者を納得、説得させるための材料以上のものではない」「ホストとその犠牲的女性の精神的絆を表すエピソード以上のものではない」の可能性がある。
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内田春菊氏の漫画。女性の業が描かれることが多い。
「3Pなんて面倒なこと、やっていられるか(女性側として)」
「よくもまぁ出産時に裂けたまん(ピー)なんてものを男性は見せられて、それでも勃起して私を抱けるものね」
恐らく同様なキャリアパスを歩んでいるのが極道くん漫遊記の作者、中村某であろう。
「男のチン(ピー)をここまで真剣にしゃぶる努力をするとは思わなかった」
女性としての強かさ、あるいは根源的な、非常にタフネスな女性像。原母?
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上記対比。
ベルリン陥落1945における女性の受難。少女から老婆までレイプの被害。ベルリン陥落時、女性住民のほぼ80%以上はレイプされている。ロシア兵による輪姦事件。
そこにどのような女性像があるのか?あるいはそのような時代と状況において少女漫画的文脈は可能なのか?
政治的偽書とも言われるが名高い「アンネの日記」はきわめて政治的な、肉体的な緊張状態におけるある種の「箱庭」的世界。セカイ系?
レイプが日常茶飯事としているセカイにおいて、少女漫画系はどこまで強い説得力を持てるのか?
「裸者と裸者」「愚者と愚者」「覇者と覇者」?
少女漫画系ではない。
ジェンダーを大きくテーマとして扱うが。「図書館戦争」にレイプはない。あれはスポーツ合戦であり戦争ではない。戦争は描かれていない。
そんな作品はありうるのか?
**
「水晶内制度」における少女犯罪男性者に対する見せしめとしての処刑。処刑はガラス窓によって国民に開示される。
また女性だけの国家ウラミズモにおける貴重な外貨収入手段のひとつは、ウラミズモ国民による国民少女の裸写真集である。
処刑とそれを誘う材料の販売、両者はアンバランスか?アンバランスとすればなぜか?コントロールされる主観性の問題か?女性側がコントロールできるのであれば、許容される?この場合のコントロールとは?
その中での父親像はどうなるのか?
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コメント
非常に興味深く読ませていただきました。
「オナニーしているとは思えない男性」ですか。なるほど。僕の会社で作っている若い女性向けエロ漫画に出てくる男性キャラは「スネ毛生えてない男」と僕を含む全員に言われてます(苦笑)。
なんにせよ、エロゲーに出てくる美少女並みに違和感のある描かれ方であることは確かです。
酒も煙草もほとんどたしなまない、暴力は振るわない、女性関係にどれほどだらしなくとも必ずヒロインのところに戻ってくる。「俺にはお前だけだよ」。(ちなみに実録漫画だと、これら男性の負の部分が全開になります)
菊池秀行氏の『インベーダー・サマー』で過激派崩れの記者氏が、
「ある女の子を好きになった男の子に現実なんて関係ねえ、好きになった女の子はそれにふさわしい生活をしてるものなんだ。草原をそよ風に乗って走るものなんだ、霧の山荘で秋の気配を感じて一人涙ぐむものなんだ、真紅の落日に浮かぶシルエットとなって海辺をさまようものなんだ。集団で弱い者いじめなんかしねえし、人前で屁もこきゃしねえし、ばっきゃろうなんて口が裂けても言いやしねえ。憧れの王女さまなのさ」
などと言っていましたが、女性も同じようなものなのかも知れません。
なんとなくわかりますが。
「なのは」の都築さんって女性なんですかね?「真紀」を「まき」「まさき」のどっちで呼ぶかにもよりますが。「極めて女性に近い感性を持つ男性」だと思っていましたが、今まで伺ったお説からして本当に女性なのかも(都築作品に登場する男性キャラは少年あるいはかぎりなく『少年に近い男』であり、『大人の男性』はほとんど出てきません)。
投稿: IDA | 2008年12月31日 (水) 11:53
ども。
確かに女性とは書いてないですね。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E7%AF%89%E7%9C%9F%E7%B4%80
異性に対する理想像としての描かれた方ということなんですかね。
ただ、個人的にはそれでもその場合、父親、母親というのがどうにも宮崎駿氏の言われる「少女漫画における両親の描かれ方は酷すぎる」というのと、ライトノベルにおける父親母親の描かれ方がにているような気がしてしょうがないです。違うのかな?エロゲはどうなんですかね。
トラどら!は結構面白く見ていたんですが、夏の花火までがかなり盛り上がって、学園祭は死ぬほどつまらなくなって(それが11から13)、見ているうちに猛烈な違和感を感じてたのと、今までちょっと感じていた疑問をメモ程度に載せたのが今回です。
あと「戦う美少女」当たりについても考えたいんですが。セーラームーン、最近ではプリキュア、恐らく転回点にあったのは少女革命ウテナですかねー。あれも近親相姦ですし(ヒロインは敵のボスで兄貴である「世界の果て」とやりまくっている)。
そもそもがウテナが純潔を失う(「世界の果て」にヤラられる(普通にデートの後))、恐らく少女漫画的文脈でありながら非常に興味深い話の展開をしていたと思っております。あれは全て恐らく少女漫画としての文脈をわかっていた上でそれを踏まえて微妙に転調したんだろうなぁ、と思います>ウテナ
ウテナは少女漫画世界でありながら微妙に違和感を感じさせている。あれは傑作ですね。
またネタがたまったらメモでも書きます。考えてみれば、セーラームーンSSにおける巴蛍嬢、セーラーサターンの家族環境は、十分に少女漫画的ですね。当たり前かもしれませんが。母親不在、父親と巴嬢だけ、継母的な助手。神谷明氏の名演技は未だに耳に残ります。
プリキュアはほとんど最初の頃ぐらいしか見ていないので(格闘魔法少女、ぐらいの認識)なんともいえないのですが。
なのは、も恐らくは少女漫画の亜種、として捉えてそれほど問題はないとは思うんですがね。わかりませんけれど。
投稿: 石頭 | 2008年12月31日 (水) 17:32
なのはストライカーズ(第3作目)ではなのはは、誰だっけ名前の出てこない・・・フェイト嬢と擬似的な結婚生活を送り、そこに娘(ヴィヴィオ)まで出てくるわけです。
徹底的な父親不在・・・か?一応彼氏はいるんですが、ほとんど役に立たず出てきませんでしたね(まぁナンバーズ、美少女戦闘兵器集団が多すぎて話がグダグダになってしまったんだと思いますが。大人の事情ですねー、スポンサー違うし)。
最近マリ見ても終わりましたが、あそこらへんはもう追ってないのでわかりませんが、どうなっているのかには興味があります。そういえば今日から魔王!(アニメは傑作です)は逆に主人公とホモ、ゲイ的な男性諸氏集団にかしずかれる構図ですね。しかし原作とは異なり、女性陣がよくでてきますが。考えてみればヒロイン、という存在はでてきませんね。しかしやはり「娘」的存在はいますね。うーむ。
同性結婚の状態で、それを周囲に認知させるような説得力を持った要素として、「娘」がその主人公カップルには出てくるのが、現在のようです。「息子」ではないのが気になりますね。
あとこういうのを考えると、恐らくはハチワンダイバーの作者の、エアマスターの、真性ゲイのながと氏
「男だってなぁ・・・子供は産めるんだ・・・金ちゃーん!!」
の台詞と、ニューロマンサー、スプロール三部作の、第二作目における女性技術者(レズビアン)の台詞(天才技術者の移籍ミッションでの準備段階の会話)
「DNA結合よ、わたしたちの娘。手間はかかるけどね」
という女性同士による生殖行為の結果としての子供の存在についてどうにも思い出します。
確か現在も技術的には同性による生殖は可能・・・だったような気もしますが、その場合きわめてやっかいな社会的問題を背負うことになるだろうと。
でここまでくると「選択されて生まれる子供達」という深くて広ーい河の存在が・・・。ここらも最近読み初めて、非常に興味深いのがよくわかってきました。今後我々は「子供を選択することによって産み出す」ことを是、とする世界に生きるかもしれない、と。
少女漫画、美少女漫画、エロゲーは恐らく「生殖」という点と「美少女」という点において、同一線上に並ぶ、異母姉妹なのではないだろうか、というのが現在の考えで、・・・まぁいろいろと本当に益体もないことを思案中です。
投稿: 石頭 | 2008年12月31日 (水) 17:45
そういえば、なのはストライカーズで、科学者スカリエッティが、
「わたしの娘達に、私の遺伝子を保存させた!私は永遠だ!」
みたいな台詞があって、猛烈なおぞましさ、みたいなものを感じた覚えがあります。ナンバーズと呼ばれる少女達は、スカリエッティの遺伝子を恐らくは子宮に結合させた状態で、つまり初期妊娠状態にさせて、スカリエッティの遺伝子を保存させたわけです。それをナンバーズ諸氏がどのように感じたのか、一人を除いて描かれてません(下腹部をうれしそうに撫でる)。
こういう発想はちょっと思いつかなかったので、ある意味感動しましたが、同時に猛烈な違和感も感じました。これってある意味近親相姦なのだろうかと。考えてみればナンバーズにも「母親」に当たる存在がでてこなかったような気がします。お姉さんと妹集団のような気が。
2作目では父親不在で3作目は母親不在か。
エイリアン2作目における「母親同士の戦い」をちょっと関係ないんですが思い出しました。リプリーVSクィーン・エイリアン。
うーむ。
投稿: 石頭 | 2008年12月31日 (水) 17:54
自由恋愛の有無が肝、ってことになるのかなぁ。
自由恋愛の結果としての同性結婚?しかし魔王では自由恋愛ってわけでもなく婚約者ですが・・・まぁ話がいろいろあるにつれてお互いを知るわけだから、自由恋愛に近いのか?いや、自由恋愛というよりもプロセスの問題か。愛をはぐくむ期間がどれくらい長いのか、どのような間にイベントがあるのか。
ウテナも、自由恋愛の結果として「世界の果て」と恋愛して、ホテルにいってベッドインして、純潔を失ってますからね。
考えてみれば佐藤亜紀氏の小説のヒロインってだいたい「穴兄弟」状態、つまり魅力的な美男子たちの共有の女性、っていうのがあったりします。男性側から見れば穴兄弟ですが、女性側からみれば魅力的な男性たちを女性ひとりで独り占めなわけで、これはシュミレーションゲームでもありますね。
女性主人公で男性たちがヒロイン集団。アンジェリークとか。
ちょっと拡散してしまったので、ここまでにします。
投稿: 石頭 | 2008年12月31日 (水) 18:03
ついで。
>「「ある女の子を好きになった男の子に現実なんて関係ねえ、好きになった女の子はそれにふさわしい生活をしてるものなんだ。草原をそよ風に乗って走るものなんだ、霧の山荘で秋の気配を感じて一人涙ぐむものなんだ、真紅の落日に浮かぶシルエットとなって海辺をさまようものなんだ。集団で弱い者いじめなんかしねえし、人前で屁もこきゃしねえし、ばっきゃろうなんて口が裂けても言いやしねえ。憧れの王女さまなのさ」
ですが、これに対応するのが恐らく「うざぎドロップ」第4巻の、親戚の女性の台詞です。
「あたしだって・・・いつまでもお姫様でいたかったわよ」
「お姫様でいられなくなるのよ、女性は・・・」
この女性は結婚後、一児をもうけるのですが、結婚生活がうまくいかず、出奔し、主人公のところに一時的にご厄介になりにきます。その際の台詞です。恐らくこの女性の感じている徒労感やある種の絶望感は、上記記者のかなり一方的かつ身勝手な思い込みにそのまま対応すると思います。
第2部ではこの女性は離婚することがわかります。
一読をおすすめします>うさぎドロップ
投稿: 石頭 | 2008年12月31日 (水) 18:09