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2009年8月 9日 (日)

戦争は女の顔をしていない

「名著」

「わたしたちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で書かれていた。わたしたちは「男の」戦争観、男の感覚にとらわれている。男の言葉の。女達は黙っている。

 戦争の物語を書きたい。女達のものがたりを。」

以下書評

http://g10n.blog44.fc2.com/blog-entry-3.html

Amazonは以下。
戦争は女の顔をしていない

いや・・・これは・・・。

「名著」
「正直これを読んでなお、”戦闘美少女”というたわごとが吐けるか、大変不安を感じる」
「戦う女性(年齢に関係なく)というものを演じるのであれば、恐らくこれは必読書だろう」
「オタク的趣味の妄想における戦闘美少女、という存在がいかにグロテスクなものなのか、実際に存在したソ連二次大戦従軍女性、従軍少女達の存在が教えてくれる」

「ソ連兵の男性は極めて紳士的に彼女達を扱った(なにせ娘のような年齢なのだ)が、果たしてこれがドイツ軍、日本軍で同じ扱いになったろうか?ひめゆりの塔を思い出す。最終的にひめゆりの少女達がどのような扱いをされてその大部分が死亡したのかを考えれば、旧日本軍において同じような扱いにはならないだろうな、と確信できる。私はひめゆりの塔を沖縄に行って見たことがあるが、その華美秀麗さと、その近くにあった海軍兵士たちのちっぽけな墓とがもの凄く対象的であったのを思い出す」
「戦争において、女性を前線に巻き込むべきではない、というのは概ね男性の、ある種のロマンチズムの発露なのかもしれないが、ある意味理解できる」
「また、この従軍女性達が終戦後同じ女性から”淫売扱い”されるのも興味深い。そしてかつては新手氏的に扱ってくれた軍人男性達も手のひらを返すように態度が変わる」

「なんにせよミリオタとかそういう次元を越えて、恐ろしい衝撃的な、感動的な名著であるのはまちがいなく、面白い」
「興味深いのは、この少女達に対して極めて紳士的だったソ連軍男性諸氏が、ベルリン陥落時にドイツ人女性たちにどのような暴行を働いたのか、という、そこに非常なまでのアンバランスさがある」
「ソ連女性兵は味方であり同士だったが、ベルリン在住のドイツ人女性たちは、恐らくそうではなかったのだろう」

「戦場にせよ何にせよ史実において戦う少女がここまでいたのであれば、正直今となってはFEARの中二病超人たちの宴、戦闘美少女戦闘美女がいる、ということに驚くほど悪感情や滑稽さを感じなくなってしまった。それもありだと。かつてもっと酷い滑稽な事態があったのだ。今更妄想で戦闘美少女や戦闘美女がいたからとしてそこに何を驚く必要がある?」
「けっきょく、軍人達も男性も、そして中でも特にオタク男性は、驚くほど女性に対してロマンチズムなものを求めている、ということなのだろう」

「そのロマンチズムさが逆説的に、”戦闘美少女”を求めるのかもしれない」「男根を掲げた二重性的存在」

**

「戦闘美少女の精神分析は読んでいない」

「しかしちょっとだけ考えてみよう」

「最初は『リボンの騎士』(1953年)から始まると見て妥当だろう」
「更に今思い出せる範囲出言うのであれば、忍者武芸帳(1959)の女忍者である明美、蛍火、009のサイボーグ003(1964)、そこから初めて0091(1969)という「戦う女性」(0091は戦闘サイボーグの女スパイ)、という存在が出たのだと思われる」
「女性の社会進出に似ているのかもしれない。男性と同じ職務を果たすことができる、という社会風潮から彼女達はその存在が許されたのか。」
「そうでもないかもしれないが。何にせよ明美の最後には恐らく肝を潰すだろう。読者は。全身なます斬りで首だけになるわけだから」
「あれは白戸三平氏一流の価値観がそこにはある。戦場において、女性も男性もない。それらけの末路にすぎない」

「1970年代であれば0091の発展系ともとれる『キューティーハニー』(1973年)が生まれる」
「また同時代にはラ・セーヌの星(1975)があるな」「ラ・セーヌの星は追えてねー」「全ての美少女造形はここから始まる、といっても過言ではない、うる星やつら(1978)も1970年代終わり頃から始まっている」

「更には1980年代になり幻夢戦記レダ(1985)、風の谷のナウシカ(1984)となる」

「戦闘美少女には概ね二つの潮流があると思われる。これは主に戦闘美少女を求める
 ファン層の違いによる。つまりオタク的男性か、少女か。

 1.大人の美女が戦う(そこには色気が含まれる、肉体も武器にする)
   →変種としてビキニアーマーを着ている
    →プラグスーツ
 2.純真可憐な美少女が戦う
   →少女にとって可愛らしい格好で戦う

 しかし両方とも基本的には姿形によって見るものを楽しませる要素が大きい。
 少女向けであれば「少年のように強くありたい、自分だってできる」 「しかしあのような野暮ったい格好はいやだ」という発想が強くでる。
 そこから90年代には戦闘美少女の金字塔、セーラームーンが生み出される。

 彼女達は恐らく少女漫画的文脈における戦闘美少女のある意味最終到達者でも
 あろう。またこの発展系としては現時点ではプリキュアシリーズ(2004)がある。

 そして同時にビキニアーマーを更に進化させたプラグスーツと呼ばれる「色の違う全裸と同じ格好」で戦う新世紀エヴァンゲリオン(1995)が存在する。
 そして恐らくオタク的男性の嗜好として現在魔法少女リリカルなのは(2004)があるわけで、彼女達の”制服”を着た魔法合戦は、やはり美麗なようにデザインされているだろうが、そのセンスはまちがいなく少女たちが喜ぶものではない。

 もしかすれば1と2の両者をある意味融合させたのは「少女革命ウテナ」(1997)なのかもしれない。

 外見的にビキニアーマーをつけることができなくなった戦闘美少女たちは、恐らくそれをべつの箇所に求めるようになった、具体的には他メディアによる露出度によって補うことになったとも思われる。

初期において女性の社会進出をクリエイターが寓話的に描き出した忍者、女スパイもの、女でありながら男の格好で男勝りに戦う美少女から、現在少女達の夢の現れと、男性オタクの夢の現れへと変化した、とも言える。

今回は作品名とおおざっぱな歴史についてしか語れなかったが、次回があるとすれば、個々の作品の内容とその変遷についても語るべきだろう」
「次回あんのかよ!」

「というかこれは極めておおざっぱな見方で、これに少女漫画、アニメもぜんぜん追えてないし、全部網羅したらどうなるんだ」「うーむ。奥が深い」「もうちょっときちんとジャンル分けして、時代別にアニメ、漫画(少女漫画、少女漫画)、小説、としたほうがいいかもしれない」「倍以上のボリュームになるなあ」 
 

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